yumiracleの日記

日常を過ごす中でふんわりと思い浮かんだ事 とつとつと、書き記していきます

オリジナル暦

年の瀬。

人間たちは秩序をつくり、

暦をつくり、

年の瀬をつくり。

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毎日の日常は、秒を刻み、曜日を過ごし、週末を迎える。

ケとハレをつくる。

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動物園に行った時、
「あの鹿たちは一体何を考えているんだろう。」
「何も考えてないんじゃない?アハハ」
「食べることだけじゃない?」
「寝ても起きても食べること」

なんて会話が繰り広げられた。


そうだなぁ。
そうだね。

ひるがえって今日の公園の

あのカモメは何を思っているのか…

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人間が進化したのは言語をつくったところが一番の発展要因だそうだけど、
動物たちの間でもそれぞれの種によって、はたまた昆虫同士、魚同士の共通言語があるんだろう。

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その世界の生き物たちからしたら、サファリパークで人間は何が目的で車を乗り回してるんだろうなんて思ってるのかもしれない。

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それぞれの動物界での暦サイクルもあるのだろう。

人間界の間では、今日は大晦日。

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一年間おつかれ様でした!
なんて言う。

そうやって、ひとつ、ひとつ「歳をとる」という共通認識のもと、
世の中として同じ枠組みで、
同じものさしや土台を使ってものを考えることでより考えを発展させられたり
効率良く生活できたりして
秩序となっている。


来年は、そんな枠組みのなかでも

オリジナルイベントをたくさん計画し、オリジナル暦としてのケとハレを
作り出していきたい。

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一般的に何もない日が、貴重な一日になるように、
日々。







別府タワーとわたし

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そんなものがあったのか!と驚き。

さりげなく、思い付いたような感覚で
連れて行ってもらった形なのに、
中々の良さ。
京都で過ごした大学時代に通天閣に行った時は、エレベーター乗るために並んだりしたなー。ビリケンの周りを一周したなー。

サクッと見れるのに、通天閣に劣らぬレトロ感、さらにこちらは人数が少ない分、哀愁漂う。

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休憩スペースになってる、このチェック柄のクロスも素敵かと思う。

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この右端にチョッと写ってるのは人工ビーチだそう。
技とらしい、「〜〜」の型になっていて
少しばかり可愛らしい感じだった。



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書きたい、本の感想

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思いを書いて残しておきたいと思った本がある。

まず一つ目は、

村上春樹『恋しくて』。

外国作家の短編小説を寄せ集めて翻訳したものだ。
スイスやアメリカなど様様な作家の独特な雰囲気、世界を垣間見れる。
ある短編では、終盤に差し掛かると最後の最後でわけわからない感じになったりと、そのへんが快感だったり。
外国小説の良さを思い出させてくれて、
広げてくれた貴重な一冊。という訳で、これは集約されてる一編一編について、このブログで感想を書き留めておこうと思う。

そして、もう一つ。

ギリアン・フリン著『ゴーン・ガール』上下

これは、外国作品の面白さに感化されているなかで出会えた一冊。
という事もあり、『恋しくて』には感謝したい。

こちらの作品はひさびさに、貪るように読んでしまった。

きちがい、精巧、本心、根深、サイコ、愛…

こんな言葉の数々がぴったりな作品。

これについても、追って感想をかこう。

2回目を読んでからにしようかな(わくわく)












考えるということ~スマホ社会で~

ある日、仕事で神保町のほうに出掛けた。

上司と待ち合わせをしていたが、
自分がそのビルを間違えており、
ひとり打ち合わせに参加できない
という失態をした。
直前に連絡を取り合うなかで、携帯の充電レベルが1mm にも満たない状態になったので、
そんな切羽詰まったなかでも通話を避けた挙げ句、
それでも結局電話をかけるしかないという状況になり
ひととおり話がついたところで見事に電源が強制的にシャットダウンとなった。
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打ち合わせに参加できなくなったことで
直帰の予定が時間が空き、
会社に戻るか帰ってしまうか
揺れ動きながらどちらにせよ
乗り換え方法をどうにか分かろうと
調べようにもジョルダンがない。
取り合えずメトロに行き、路線図眺めるも、
いくらでいけるという情報しか脳にはいってこない。
どこで乗り換えるかなんて、そのカラフルに絡み合ってる路線の絵、線が太すぎて、
どこで何線に繋がっているかさっぱりわからないという
ありさま。
いかに乗り換え案内に頼ってきたか…ということだ

停車駅が一本の線上にかかれているものがとても見やすかったので、
あぁと思ったのも束の間、結局その先につながっている駅に行ったところで
何分で行けるのか?その方法が最短なのか?なんて考えていたら、立往生してしまった。

途方にくれた。わたし、知らないところだとろくに電車もさくさく乗れないんじゃないか、と。

そして、いつも効率を考えたくなっている。


結局、立ち止まったり迷いながらも会社に戻ることにし、乗った電車の中で、ふと
あの時ある人が言ってたセビーリャってスペインのどこだっけなんて浮かんでみたり
きっとあの時カーシェア内に忘れ物をした、それは
どう取り返せばいいのかなんて
どうでもいいことを検索したい衝動にかられ
携帯シャットダウンの事態を思い出す。


また何かを浮かんでは、あぁ携帯がないんだなんて思いながら、ふと
検索ばかりを求めているのかと思い、自分にびっくりする。
むかしむかしはインターネット自体ない生活だったのに!

なので、よく、社会人になって
学生の時はもっと色々考えを深められてたやら
好きな音楽がたくさんあったやら
もっと気の利いた言葉を紡ぎだしてたはずなのにやら
なんて途方にくれるときがあったけれど

それは一概に時間の制約で気持ちにゆとりがなくなったという訳ではなく
手元に便利なツールが手に入ったから、
それに頼りすぎるようになってしまったという向きがある。

ケータイは仕事の必需品ではあるけれど
プライベートでは、なんなとなくのインターネットサーフィン的なものはやめにしようか。














よっと ブログ引っ越し

アメブロからはてなブログへ引っ越しした。

ただ、書きたいときに かけるようにするために。

広告の多さにあきれたり
使わない多機能のローディングのために 途方にくれるほど待ったり
繋がるのを待つ間で通勤時間を無駄にしたり
そんなふうに気分を削ぎ落とさずに

ただ書ける枠が欲しかった。

はてなブログはそれを叶えてくれるだろうか?


今のところ、PC画面のブログトップに自分の写真を使ったり、カスタマイズできる感はなかなかいいかも。

日常と溶け合う音楽

スペインに行った そこでは、溜め息のでる風景の連続だった そして 色んな箇所で、現地の個人音楽家たちが演奏をしていた グラナダ  アルバイシン地区から眺めた アルハンブラ宮殿を臨む解放感溢れる街並みでは フラメンコギターと陽気なラテン音楽、タイコを一生懸命、しかし陽気に 奏でている3人組みがいた バルセロナ  ガウディの創った建造物が残っているグエル公園の 摩訶不思議な造形に緑溢れる敷地では その建造物(橋?)の緑の茂みにて ギター弾きとバイオリニストが2人1組となって 情緒あふれる美しい音色を繰り広げていた その公園で海・地平線を遠くに臨み、活気あふれるみ楽しげな街並みを見下ろせる ヤシの木がそよ風に揺れる高台では なんだかせつなく物悲しいけれどもロマンティックなシンプルな音楽が どこからともなく、消えそうなくらい細い線で聴こえていた 息苦しくなる程、奥深くの地下鉄から上に上がろうという踊り場のところで キーボード弾きがピアノを奏でていて 一気に気持ちが緩んだ スペインにたくさんある広場 ある広場ではストリートフラメンコを繰り広げていた そこでは勿論、フラメンコギターと歌声もセットで 素敵な風景に音の彩りを添える個人音楽家たち ブログなど、何か思いや考えを書くとき、 音楽を聞いて脳が活性化?ひらかれないと、書くことができない 現地では 視覚だけでも感動ものなのに、そこに音楽が加わったことで 目に見ながらにしてのイマジネーションが広がり 相乗効果で、 気持ちがよくて、ぽかんとしてしまった感動の連続だった

新しいものを追い求めることについて

新しいものを追い求めること、 そうしなければならない、 そうした方が生きてて楽しいし、 変化があった方が間違いなくいい。 そんな先入観に囚われていた。 そんなことはないや、と ふわっと風が通りすぎたように思った。 なぜなら久しぶりに聞いた音楽が、すごくよかったこと。 久しぶりに聞いて「いい!」と思える曲目が1つふえた。 そんなふうな日。 だって、その曲は以前同じような間隔を経てきいても、今日程いいと思うことがあっただろうか。 それはそれで「新しい」気づき、発見だけれど。自分のなにかが<いつのまにか>変化してそこまでいいと思うようになったのだろうし。 だから、ふわっと感じる程度のもので、気楽にいこうか?

その時

今日の教訓 思い出はいいことしか残らないから、 嫌な記憶は忘れてしまうから、 常に「その時」の気持ちと、過去に「その時」に選択した時の自分を信じる、忘れてはいけない。 「その時」はリアルなものであり、「その時」にしか感じ得ない多大な量の要素を鑑みて、「その時」決定を自分が下しているのだから。

振り返ったときに、おもいおもいを感じるために。

仕事に行っては、帰ってねて、 起きては仕事にいった。 同じ職場の先輩は、長いこと一緒なので わたしもようやくきゃぴきゃぴ感は失われ、 よくもわるくも素の状態で テンションの低さや低い声や、ガチな感じやてきとうにあしらう感じや好き放題に私は繰り広げてしまっている。 ほんとうに、よくもわるくもだ。 勿論自分としては、外側を頑張り過ぎず、 肝心な仕事に力を注げるのでいいのだけれど。 ただ、そういう人間関係となったのも4年もそのなかに身を置いているからで、 そう4年もたっているからなのだ。 就職して5年目の私は、よく、最近友達とこんな話になる。 4年経過してるということは、 大学入学して卒業できるねと。 大学生活の4年間をすっぽり過ごせてしまう。 大学時代の方が濃かったねと。 そんな濃い生活を送れていないよね、今。ヤバイヤバイ。 何を学んできたんだろう。 何ができるようになったんだろう。 と、そんな展開になる。 それはそれで、この期間がなければわからなかったであろうたくさんのことや、 大学時代の頃では知り得なかったことも わざわざ年月をかけて、体感・府に落ちたこともある。 例え結果が単純な内容だとしても。 ただ、 それを通過儀礼にかけた年月として受けとるとしても これからは、なんか、なるようになるというのらりくらりとした考えはちょっと抑えようかとこの頃考える。 じゃ、どうすれば振り返ったときにずっしりおもいおもいを感じる? それには、やっぱり新しいことにつぎつぎとりかかるのも、ありだ。 何かを始める!という意気込んだ コンクリートの横断歩道の白い部分で日差しが反射する照り返しみたいな眩しいものじゃなくて、 新しい音楽をきくとか、見つけるとか、 好きな本のジャンルを発見するとか、 久しぶりの友達と話してみるとか、 違うカラーの服を着てみるとか、 ほんの小さなフック。 手を伸ばして届く範囲のことをジャンジャンしたい。 そうすれば、それが何かもっと大きな違うことをする助走にもなるかもしれないし、 楽しいし、 ね。

記憶の五感と…?

記憶を呼び戻すものは、人間のどんな感覚からだろう。 視覚 写真をみて、おもいだすなど。 聴覚 音楽。かなりリアルに浸れる。 その時の自分の精神状態まで思い出せたりもする。 嗅覚 外の風のにおい。 手作りの煮物のにおい。 人のにおい。 香水のかおり。 これもかなりリアルに呼び起こされる。 触覚 味覚 食べたことのある味。 好きな味、嫌いな味。 前に、これだけかなぁ?という話をしてみた。 もっと、なにかある筈なのにな… みなさん何だと思いますか? そこで浮上したのがこれ。 空気の感覚。 温度というか、体感というか。 真冬の寒さ、突き刺すような、いたいくらいの冷たい外気。 冬の記憶。 むわっとするような暑さで、他のアジアを思い出したり。 寒い日に湯船に浸かる瞬間の、生きている感覚。 その頃の形にならないどこかの記憶。 言葉にできない記憶を、それらは運んでくる。