yumiracleの日記

日常を過ごす中でふんわりと思い浮かんだ事 とつとつと、書き記していきます

考えるということ~スマホ社会で~

ある日、仕事で神保町のほうに出掛けた。

上司と待ち合わせをしていたが、
自分がそのビルを間違えており、
ひとり打ち合わせに参加できない
という失態をした。
直前に連絡を取り合うなかで、携帯の充電レベルが1mm にも満たない状態になったので、
そんな切羽詰まったなかでも通話を避けた挙げ句、
それでも結局電話をかけるしかないという状況になり
ひととおり話がついたところで見事に電源が強制的にシャットダウンとなった。
f:id:yumiracle:20130913184211j:plain
打ち合わせに参加できなくなったことで
直帰の予定が時間が空き、
会社に戻るか帰ってしまうか
揺れ動きながらどちらにせよ
乗り換え方法をどうにか分かろうと
調べようにもジョルダンがない。
取り合えずメトロに行き、路線図眺めるも、
いくらでいけるという情報しか脳にはいってこない。
どこで乗り換えるかなんて、そのカラフルに絡み合ってる路線の絵、線が太すぎて、
どこで何線に繋がっているかさっぱりわからないという
ありさま。
いかに乗り換え案内に頼ってきたか…ということだ

停車駅が一本の線上にかかれているものがとても見やすかったので、
あぁと思ったのも束の間、結局その先につながっている駅に行ったところで
何分で行けるのか?その方法が最短なのか?なんて考えていたら、立往生してしまった。

途方にくれた。わたし、知らないところだとろくに電車もさくさく乗れないんじゃないか、と。

そして、いつも効率を考えたくなっている。


結局、立ち止まったり迷いながらも会社に戻ることにし、乗った電車の中で、ふと
あの時ある人が言ってたセビーリャってスペインのどこだっけなんて浮かんでみたり
きっとあの時カーシェア内に忘れ物をした、それは
どう取り返せばいいのかなんて
どうでもいいことを検索したい衝動にかられ
携帯シャットダウンの事態を思い出す。


また何かを浮かんでは、あぁ携帯がないんだなんて思いながら、ふと
検索ばかりを求めているのかと思い、自分にびっくりする。
むかしむかしはインターネット自体ない生活だったのに!

なので、よく、社会人になって
学生の時はもっと色々考えを深められてたやら
好きな音楽がたくさんあったやら
もっと気の利いた言葉を紡ぎだしてたはずなのにやら
なんて途方にくれるときがあったけれど

それは一概に時間の制約で気持ちにゆとりがなくなったという訳ではなく
手元に便利なツールが手に入ったから、
それに頼りすぎるようになってしまったという向きがある。

ケータイは仕事の必需品ではあるけれど
プライベートでは、なんなとなくのインターネットサーフィン的なものはやめにしようか。